2013年度ジョイネット自主事業 絵本作家 あべ弘士さんの「北極たんけん・動物のひみつ」

8月の山口市内は連日35℃を超える猛暑でした。
講演会活動以外は北海道旭川で暮らしていらっしゃるあべさんには、山口の暑さは辛かったようです。「寒くなる話をしようね」とあべさんの小学校時代の話から始まりました。
小学校が休校になるか否かは気温で決まり、マイナス19.5℃までは普通に登校、マイナス19.6℃からマイナス24.5℃では1時間遅れの登校、マイナス24.6℃は休校。「なぜ0.1℃の差で登校か休校かは疑問だが、小学校低学年より小数点がわかるようになる。」そうです。
旭山動物園の飼育員時代の、2頭の象が校外学習の小学生が持ってきた変なエサに反応する違いは、参加の小学生のお気に入りの話となりました。
メインの北極についてのお話は、映像を使われました。少し残酷と思える動物の写真もありましたが、極寒の地で懸命に生きている動物達の姿にはエールを送りたい気持ちでした。
あべさんの講演会の開催が急に決まり、チラシを配り始めたのが8月初旬。情宣期間が20日もありませんでしたが、昨年3月のやまぐち絵本楽会で聞くことができなかった北極の話を聞きたい、と多くの方が参加してくださいました。ありがとうございました。 (山口BC E・K)

★子どもが生まれ、絵本に接することが増えた頃に、初めて絵本作家の講演を聞くことができ、もっと絵本に興味をもつことができました。北極や動物園での話、とても面白かったです。これからも、子どもと絵本を読む時間を楽しみたいです。(20代女性)

★初めての絵本作家の講演会。あべさんの飼育員時代や北極のお話を聞いて作品を読むと、改めて動物たちへの温かい眼差しを感じました。笑いにあふれた楽しい時間でした。(30代女性)

★北極に行かれた時の写真の中の白熊が、あざらしの皮を剥いで食べていたのにびっくりしました。(小3女子)

★絵本を描かれるのにいろんな経験をされているのだと感じました。(小6女子)

★あべさんが動物達を大好きだという事が話の中にあふれていて、幸せな気持ちになりました。(40代母)

★私はゾウの話が好きでした。なぜかというと、食いしん坊のななちゃんが何でも食べようとするのがすごく面白いなと思ったからです。びっくりしました。私もいつか動物園の動物にエサをあげてみたいです。(小3女子)

★楽しいお話に、子どもと一緒にお腹を抱えて笑わせていただきました。経験を踏まえたお話はとてもリアルで、実際そこに動物たちがいるかのようでした。親子共々夏休みの良い思い出になりました。(40代母)

★動物を描かせたら右に出る者のいない絵本作家、あべ弘士さん。
というのも、1972年から1996年まであの有名な旭川市の旭山動物園の飼育員でした。旭山動物園には、実は、あべさんの作品があふれていて、広大な動物園全体が、まるであべさんのギャラリーのようです。
2011年6月、あべさんは8人の仲間達とヨットをチャーターし、約4週間、北極圏に浮かぶスヴァールバル諸島(ノルウェー)に滞在しました。その体験を元に生まれたのが『こんちき号北極探検記 ホッキョクグマを求めて3000キロ』(講談社)や「ふたごのしろくま」シリーズ(講談社)、『新世界へ』(偕成社)です。
昨年3月のやまぐち絵本楽会では、あべさんのルーツとも言える、動物園時代のお話などで盛り上がり、北極のお話まで至りませんでした。
今年は、あべさんに北極のお話をたっぷりと語っていただき、猛暑日が続いていますが、北極の話でクール・シェアしました。

「シロクマも カモメも私(わたし)も 地球(ここ)の住人(ひと)」(『こんちき号北極探検記 ホッキョクグマを求めて3000キロ』(講談社)より) (山口BC T・Y)

日 時:2013年8月22日(木)13:30~15:00
場 所:クリエィテイブ・スペース赤れんが 2階
講 師:あべ弘士さん(絵本作家)
参加者:50人(子ども10人 おとな40人)

★あべ弘士さんの秘密★
1948年 北海道で生まれる。
1972年 旭川市旭山動物園飼育係になる。
1978年 ニシキヘビに巻かれる。この頃、ゾウに絵を習う。
1979年 スカンクにやられる。ラクダにかまれる。
1986年 アザラシに逃げられる。
1989年 カワウソと昼寝、園長にみつかりしかられる。
1990年 ゴリラに哲学を習う。
1996年 飼育係をやめ、絵に専念する。
1997年 アフリカでライオンに吠えられる。
2000年 オーストラリアでカモノハシと目が合う。
2004年 ロシア・アムール川でトラの匂いをかぐ。
2011年 北極でシロクマに神々しさを感じる。

★あべ弘士さんプロフィール★
1948年北海道旭川市に生まれる。北海道旭川西高等学校卒業。1972年から25年間、旭川市の旭山動物園に勤務。勤務中、飼育員達の間で話し合った行動展示の夢を絵として残し、旭山動物園復活の鍵となった。1975年旭川のタウン誌「月刊 旭川春秋」への執筆をきっかけに絵本執筆を始める。1981年『旭山動物園日記』(出版工房ミル)が処女作。1989年雑誌「かがくのとも」に『雪の上のなぞのあしあと』(福音館書店)を発表、以後さまざまな出版社から絵本を刊行。自然に対する知識と愛情に裏打ちされた作品は、自由闊達な線と色の魅力、大らかなユーモアによって多くの読者に愛されている。1995年『あらしのよるに』(講談社)で第26回講談社出版文化賞絵本賞・第42回産経児童出版文化賞JR賞(シリーズは累計250万部を超えるベストセラーに。)、1999年『ゴリラにっき』(小学館)で第48回小学館児童出版文化賞、2000年「ハリネズミのブルブル」シリーズ(文溪堂)で第14回赤い鳥さし絵賞、2005年『どうぶつゆうびん』(講談社)で第52回産経児童出版文化賞ニッポン放送賞、2009年『エゾオオカミ物語』(講談社)で第19回けんぶち絵本の里大賞びばからす賞を受賞。そのほかの作品に、『ピアノは夢をみる』(偕成社)、『どうぶつえんガイド』(福音館書店)、『どうぶつ友情辞典』(クレヨウンハウス)、『ゴリラはごりら』(童話屋)、『ライオンのながいいちにち』(佼成出版社)、『どうぶつさいばん ライオンのしごと』(偕成社)、『なめとこ山の熊』(宮沢賢治/文 三起商行)、『こんちき号北極探検記』(講談社)など多数。本名が阿部寛で俳優の阿部寛と同じであるが、あべ弘士のほうが活動期間は長い。

この活動はジョイネット応援団費で行いました。
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